故郷で繋ぐ僕らの居場所
阿田和交流会
三重県御浜町の南部に位置する、阿田和(あたわ)地区。東側は熊野灘に面していて、古くから漁業や農業が盛んな地区だ。
今でもみかん畑を営む人が多く、また海では大規模な仕掛けを用いた、持続可能性の高い漁法である「大敷網漁業」も行われている、漁師の住む町でもある。
同じ御浜町内でも、地区が違えば、生業や食文化にも違いがあり、方言や文化にもそれぞれの特色がある。
阿田和は、昭和33(1958)年に、神志山村・市木尾呂志村と合併して「御浜町」が生まれる以前は、阿田和町と呼ばれる独立した町だった。主要交通網である国道42号からも近いため、商業施設や住宅が多く、御浜町で一番人口が多い地区でもある。そこでは、古くからの人々の営みが、今も若者たちに連綿と受け継がれている。
阿田和地区のシンボルとして、地元民に古くから慕われる神社がある。
七里御浜から500mほど内陸に入ると現れる「阿田和神社」の看板。階段の小道を降りていくと、石造りの鳥居が見えてくる。
この神社の創建は、康治2年(1143年)、実に880年前に遡る。元々は、阿田和の産土神(うぶすながみ)として祀られ、その後現在の社地より2km北の浅間山に遷され、江戸時代に現在の社地へと移った。
古くから、地元の漁や商業の守り神として信仰を集めてきた神社で、850年以上続いてきたという春の例大祭は、4月に執り行われる。
7つの神を祀る阿田和神社で、豊作や豊漁とともに地域の平穏を祈願する例大祭。境内では、作物を奉納する儀式や巫女による舞といった神事が執り行われる。
祭り当日には子供神輿が町中を練り歩き、大賑わいとなる。地元民にとっては、春の訪れを告げる欠かせない祭りだ。
ここ数年はコロナ禍の影響で規模を縮小しているものの、神事と巫女の舞、獅子舞の奉納が行われ、多くの関係者が集まった。
静けさに包まれた中で粛々と執り行われる儀式ののち、打って変わって賑やかな雰囲気の中で、地元青年たちによる獅子舞の奉納が行われる。かつては、厄年である24歳を迎えた青年たちが集まり、厄祓いの儀式として神前で舞を披露していた。しかし、子供の減少に加え、就職や大学進学を機に都会へ出る若者も増えていった2010年代、ついに青年団には、5、6人のメンバーしか居なくなってしまった。
「このままでは、祭りが消えてしまう。」それだけはあってはならない、絶対にこの祭りを残したいと、初代会長となる松本さんを中心に、地元に住む若者たちが立ち上がった。そして青年団改め「阿田和交流会」を結成。24の年に限らず地域の若者が集える場を誕生させた。
「自分達にとって祭りは、生まれた時からあって当然のものだった。祭りの日には、学校は午後から休みになって、みんなで祭りに繰り出したよね。相撲や御神輿担ぎに参加すると小遣いがもらえてさ、屋台で色々なものを買って、楽しかった」
そう幼い頃の祭りの思い出を語ってくれたのは、阿田和交流会の現会長・奥地孝弘さんと、副会長の芝野雄一さん。
先祖代々、ずっと続いてきた、DNAに刻まれている大切な祭り。
「なんとかして、続けていきたい。この祭りや獅子舞を無くすという選択肢は、僕たちの中にはありません」と二人は語る。「阿田和の獅子舞」は、町が指定する御浜町無形民俗文化財への推薦を行い、町ぐるみでの保護を呼びかけた。それまで口伝のみで伝わっていたお囃子や獅子舞の振り付けを、年輩者を訪ねて記録として残し、守り受け継ぐ環境づくりを行った。阿田和交流会によって、獅子舞の奉納は次の世代へと受け継がれている。
端地祐さんは、進学のため町外へ出ていたが、二十歳を迎えた時に地元での就職のためUターン。阿田和交流会への参加を決めた。振り付けを先輩から教わり、今では獅子のエースとして、すべての演目を踊ることができる。
彼にとっての阿田和交流会や祭りは「先輩に恩返しをする場所」。
「自分は、ずっとこの土地で、先輩たちの背中を見て育ってきました。後輩を愛をもって育ててくれる、人として尊敬してやまない先輩たち。もちろん地域にも、育ててもらった。この祭りを、獅子舞を続けていくことで、自分も後世に何か伝えられるのでは。自分も先輩たちのように、苦労も乗り越えていける頼りになる存在に成長したい。そうやって、育ててもらった先輩たちに、恩返しがしたいんです。」
そんな思いで、端地さんは獅子舞を踊る。
端地さんの同級生である前竜也さん。24歳の厄祓いがきっかけで、阿田和交流会に入った。
彼にとっての阿田和交流会は「家族みたいに、年齢も立場も関係なく、人と繋がれる居場所」なのだという。「祭りの話だけじゃなくて、仕事の悩み・人生の悩みを聞いてもらったりもします。一緒に飯を食べてお酒を飲んだり、ともに遊んだり。時には本気で叱ってもらうこともあります。」自分が、心から受け入れられていると感じる居場所なのだという。
18歳のとき、就職のため三重県玉城町から移住した林貴久さん。御浜町役場 建設課に専門職で入職した。
仕事場では多くの人と関わるものの、縁もゆかりもない土地での暮らしは、最初は友人もいなく寂しかったという。移住して1年が経った頃、当時の会長・松本さんから声をかけられ、交流会のBBQに参加したことがきっかけで、阿田和交流会との繋がりが始まった。
「初めて会った時は、怖かったですよ(苦笑)。見た目はガラ悪いし、阿田和弁って口調が強くて喧嘩してるみたいなんです(笑)。でも、みんな面白いし優しかった。すぐに仲良くなって、交流会の祭りや季節行事の活動以外に、プライベートでも一緒に遊ぶようになりました。釣りに行ったり、キャンプしたり。プライベートで仲良くできる仲間ができて、御浜での暮らしが一気に楽しくなりました!」
と、笑いながら当時を振り返える林さん。
それから6年が経ち、御浜町での暮らしにすっかり馴染んだ林さんは、阿田和交流会の存在がなくてはならないものだと語る。「“地域を盛り上げる”という明確な目的があるから、みんな行動力がすごいんです。コミュニケーションも多いし、一致団結していて、家族じゃないのに家族みたい。都会だったら持てない人との繋がりが、ここにはある。御浜にきて、交流会に入って良かったなって思います!もし、知り合いがいない状態で御浜町へ移住を考えている人がいたら、僕は絶対阿田和がオススメ。交流会に入ったら、間違いなく人脈広がりますよ。」
阿田和交流会は「移住してきた方も、交流会への参加は大歓迎!年齢や立場、出身の垣根はありません。全力で歓迎して、仲間になります!」というオープンな団体だ。
この土地で生まれ育った人にとって、祭りは人から自然に感謝を伝える場であり、生まれた時から当たり前にあったものだ。それは今では、出身の有無を問わず、人と人とをつなぎ成長し合うためのかけがえのない居場所にもなっている。
(2022年4月•23年1月取材 文・玉置 侑里子)
▼阿田和交流会の物語を、動画でもお楽しみください!
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