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御浜町下市木地区の住宅街にある「あゆみ工房」。焼込みタルトを中心に、生タルト、焼き菓子などが並ぶお店だ。週に2日、日曜日と月曜日の営業日には、近隣の住民をはじめ、県外から足を運ぶファンもいる。

このお店を営むのは、この土地で生まれ育った諸井歩(もろい あゆみ)さん。高校卒業と共に御浜を離れ、60歳でUターン移住で戻ってきた。祖父母が住んでいた家屋を家族と共に改装し、奈良県で経営していたお店を移転するかたちで、2023年10月に現在の店舗と工房を構えた。

そんな歩さんの暮らしは、一般的なパティシエとは一味違っている。

三足のわらじが「天職」

“半農半パティシエ+ボランティア”

歩さんは、現在の生活をこう表現する。週に2日あゆみ工房の営業をして、仕込みのかたわら実家のみかん農家の仕事もこなし、さらに毎週火曜日には、社会福祉協議会が運営する「1go1笑」というコミュニティカフェで調理のボランティアも行っている。

とても忙しそうにも思えるが、今のこの働き方は「天職」だという。しかし、この暮らしに至るまでには、長い物語があった。

製菓の仕事がしたくて

御浜町でみかん農家の家に生まれた歩さん。「市木木綿」の工場に囲まれた地区 下市木で、織機の音を聞きながら育った。パティシエになることは、子どもの頃からの夢だったという。

「高校を出て製菓に関わる仕事がしたかったけれど、当時は女性を調理場に入れてくれる職場は少なくて、やっと見つけた大阪のケーキ屋も、男性ばかりの職場で辛い思いもしました」

過酷な環境に耐えかねて一度は御浜に戻ったものの、都会に出たい気持ちもあり、その後は京都で暮らした。30歳を前に叔母がいた奈良に移り住み、夫となる男性と出会って結婚。調理に関わる仕事がしたい気持ちは変わらず、飲食店を中心に様々な経験を積んだ。

「専門学校を出ていないというのが最大のコンプレックスだったんですよね。私が高校生の頃は、専門学校についての情報なんて全然手に入らなくて。だからこそ、とにかく現場で学べることは学んで、本も読み漁って、ものすごく努力しました」

結婚後、今のあゆみ工房の礎を築く「先生」にも出会った。本格的なお菓子作りを個人レッスンで10年弱にわたって学び、それは歩さんの生活にも張りを与えた。

47歳で念願の独立、起業

奈良県橿原に構えていた店舗

「先生から、もうレッスンを辞めると言われたんです。この先どうしたらいいの?って思ったけれど、じゃあ自分でやってみようかなって」

歩さん47歳。自宅の一部を改装し、「あゆみ工房」を開業した。子どもの頃からずっと変わらずに持ち続けてきた夢が叶った瞬間だった。

叔母が営んでいた喫茶店にお菓子を卸したり、イベントでの販売などから始め、さらに自宅を改装して、カフェとしての営業も開始した。しばらくして、同じく奈良県に住み花屋を営むいとこからの相談で、花屋に併設されたカフェも開き、そこでも腕を振るった。忙しくも、充実した日々だったという。

60歳を前に迎えた大きな転機 – 故郷へのUターン移住

60歳の節目を迎える直前、長らく連れ添った夫の死という、この上なく大きく、悲しい出来事が訪れた。その頃、実家の父も体調を崩していた。「まともな思考ができない時期もあった」と言う。周囲の人々に支えられ、励まされ、なんとか暮らす日々だった。

「私の人生はだいたい10〜12年周期で移り変わっていくんですよね。高校を卒業して都会に出て、30歳の頃に奈良に移り住んで結婚もして、40歳の頃に本格的にお菓子作りの勉強を始めて、47歳で店を開いて。だから60歳を自分の中で定年ということにして、これからは人生の集大成として、故郷の御浜で暮らそうと思いました」

奈良には楽しい思い出も、夫との大切な記憶も、お客さんとの繋がりもあったけれど、これらを一旦全て手放して、御浜に帰る決断をした。

昔の名前で呼んでもらえる喜び

祖父母が住んでいた家を改装した
あゆみ工房の店舗

現在のあゆみ工房は、歩さんの祖父母が住んでいた古い家を改装したものだ。販売スペースは祖父が書斎として使っていた場所で、その思い出と共にあゆみ工房が営まれている。調理スペースにある冷蔵庫やオーブン、調理台などは、奈良から一緒に引っ越してきた。

「ここでお店をすることが、最初は怖かったんです。でもいざ始めてみると、近所のおばさんたちが杖をついてわざわざ来てくれたり、同級生が噂を聞きつけて買いに来てくれたり。
みんなが昔の名前で呼んでくれるんですよね。それがとても嬉しくて。本当に田舎ってあったかいなって。やってよかったなってすごく思います」

奈良で店を構えていた頃から、「地のものを使いたい」という思いは一貫しており、御浜に来た現在は、御浜の柑橘類はもちろん、尾呂志のアッサムティーふるかわ園芸のイチゴなど、地元で生産されるものを積極的に使っている。
野菜ソムリエの資格を持つあゆみさんが、素材の良さを引き出しながらつくるお菓子は評判が高い。

地域の素材を使ったタルトや焼き菓子

お客さんからの希望で、奈良でも行っていたお菓子づくりのレッスンも定期的に開催している。自分の持つ技術を通して恩返しをしたいという気持ちもあり、またこの地域にもその技術を喜んでくれる人がいることが、とても嬉しいのだそうだ。

あゆみ工房のマドレーヌ
キイカフェではイートインもできる

あゆみ工房の焼き菓子は、御浜町の観光案内所内にある「キイカフェ」でも購入ができる。御浜町産のマイヤーレモンを使ったマドレーヌやスコーンなどが中心で、キイカフェオリジナルのスペシャルティコーヒー「御浜ブレンド」ともよく合う。

まさか自分がみかん農家になるとは

2月中旬、近年人気の高まる「せとか」を収穫

父が亡くなった後、歩さんの母は一人でみかん農家の仕事を続けた。それを手伝うかたちで、歩さんもみかん畑に通っている。
両親が二人でやっていた頃はいくつも畑があったが、町外から移住してきた新規就農者との出会いもあり、若い世代へ園地を承継したという。現在は一箇所を残して、極早生、ポンカン、せとかを栽培している。このみかんはもちろん、あゆみ工房のタルトや焼き菓子の材料としても使われている。

「畑で仕事をしていると五感が研ぎ澄まされるんですよ」と語る歩さん。

「自然のちょっとした機微に気づく」のだとか。さまざまな種類の鳥たちを眺めたり、雨が降り出しそうな時、裏山の木々がざわざわとすることや、雨の匂いを感じたり。ゴールデンウィーク前後に一斉に咲く、みかんの花の香りを感じとることもそうだという。

「都会の生活には、必要のないことなのかもしれないですね。田舎の人の方が、そういうことには敏感な気がするんです」

父と母が大切に育んできた畑で

「みかん農家の娘として育ったけれど、それを自分が手伝うことになるとは思ってなかったんですよ。子どもの頃も畑仕事に駆り出されるということもなかったですし、特に父は、子どもに継がせようという気持ちが全然なかったんです」

歩さんは、御浜町が主催する新規就農研修者向けの「みかん講座」にも参加している。年に20回ある座学の講座は、新米みかん農家同士の交流の場にもなっており、横の繋がりが広がっていくのを感じているという。

人の役に立てる、というやりがい

毎週火曜日の「1go1笑」でのボランティアは、御浜に戻ってすぐに声がかかり、二つ返事で受けたものだった。

「前の調理担当者さんが辞められるというタイミングで、Uターン移住したばかりの私に声をかけてくれました。今までたくさんの良いご縁で支えていただいたので、人の役に立てるのであれば何よりだと思って。独居高齢者の孤立予防も兼ねている、という趣旨にも共感しました」

ある日の1go1笑のメニュー
花型に抜いた人参を肉巻きにした工夫の一品

喫茶店を改装した店舗で、元は認知症カフェとしてオープンしたが、現在は誰もが集える場所として開かれている。メイン一品に土鍋のご飯、手作り味噌の味噌汁に野菜たっぷりの副菜2〜3種類がつく献立は、あゆみさんが考案。バランスの取れたランチが食べられると評判で、町内で働く人をはじめ、一般客の利用も多い。

陽射しの暖かさ、海の輝き、月夜の明るさ

現在の “半農半パティシエ+ボランティア” の暮らしを始めて1年ほどが経ち、ペースも掴めて心地よくなってきた頃。田舎暮らしの良さを改めて実感しているという。

「私はもともと田舎もんなんです。都会に出て、そこで大人にしてもらった。その経験がミックスされて今の自分がありますが、御浜に戻ってきてからは『田舎もん』の私がまた戻ってきていますね」

七里御浜が大好きだという歩さん。南の新宮方面から車を走らせ、大きくカーブを曲がるとパッと開ける海。北の尾鷲方面から大泊トンネルの先に広がる砂利浜と太平洋。空いっぱいに広がる星々や月の光が海面に反射して、驚くほど明るい夜。

「空が広くて、陽射しがとても暖かいんですよね。日向ぼっこ日和ばかりで困っています(笑)」

何かを始めるのは勇気がいること。でも御浜なら

「何かを始めるのって、怖いと思うんです。でも、起業も、農家にしても、御浜町でなら怖くない!勇気は要るかもしれないけれど、自分から聞きに行けばみんな親切に教えてくれますよ。役所も入りやすいし、相談しやすい。その辺を歩いてる人に話しかけたって、きっと色々と教えてくれます。それが御浜町らしさなんです」

インターネットで検索して、SNSを覗けばたくさんの情報を得ることができる現代。それでも、実際に来て、五感で感じて、人と話して、そうでなければわからないことがたくさんある。だから是非実際に足を運んでみてほしい。歩さんの言葉に力がこもった。

三重県には空港がなく、新幹線も走っていない。交通事情を考えると「東京から一番遠い」ともいわれるこの地域だからこそ、残っているものがたくさんある。

御浜を一度離れた歩さんだからこその説得力がある。

歩さんはインタビューの中で、「ご縁」「あったかい」という言葉を何度も口にした。様々な縁で形作られた「今」に感謝し、暮らしの豊かさを思い切り享受して、また次へと渡していく。生きていること、生かされていることの喜びを目一杯に感じている歩さんの笑顔もまた、とても温かかった。

(2025年1月取材 本沢 結香)