愛知県からIターン/40•50代/みかん農家/2人家族
西岡宏展・長閑さん
本州のほぼ最南端、紀伊半島・三重県南部に位置する人口約8,000人の小さなまちの御浜町。
御浜町は「産地の未来」を守るために、大きな一歩を踏み出している。それは、次の世代を担う新しい農業者たちの受け入れに、本気で取り組んでいることだ。
持続可能な産地を目指し、みかん農家の新規就農者育成プロジェクト「みかん、やったらええやん」が始まったのが2021年。
以来、この地には全国から“みかん農家になりたい”という夢と覚悟を持った人たちが増えてきている。
今回は、会社員を辞めて名古屋から御浜町に移住。1年の研修を経てみかん農家になったご夫婦、西岡宏展・長閑(にしおか ひろのぶ・のどか)さんに話を聞いた。
西岡さん夫婦は、2023年3月に名古屋から御浜町へ移住した。現在52歳の宏展さんは、名古屋の自動車部品を扱う商社で営業職をしていた。一方、49歳の長閑さんは、大学病院の言語聴覚士としてリハビリを担当していた。
そんな二人が新たな人生の舞台として選んだのは、自然と共に生きる“みかん農家”という道だった。都会で積み重ねてきたキャリアを手放し、ゼロから始めた農業の世界。その選択には、静かだけれど確かな覚悟と、未来への希望が込められていた。
2023年4月。就農サポートリーダーのもとで、みかん農業の研修が始まった。日々の作業の中で、土と向き合い、木と対話し、季節のリズムを体で覚えていく。
そして、2024年4月。1年間の研修を経て、“みかん農家”として独立を果たした。二人三脚で踏み出したその一歩には、覚悟と希望、そして少しの自信がしっかりと刻まれていた。
農業という暮らしの根っこに触れるような仕事を始めてから、これまでにない満たされた感覚に包まれているという二人。
「自分たちが作ったものを、誰かが『美味しい』と言ってくれる。その瞬間、自分の中にこれまで感じたことのない喜びが湧いてくるんです。それはサラリーマン時代には味わってこなかったものでした。もちろん、これから苦労することも多いと思いますけど、今は、“やりがい” しか感じないですね」と、宏展さん。
「都会で働いていた頃は、どちらかというと“消費するばかり”の生活で、小さな罪悪感のようなものがどこかにありました」と長閑さんは振り返る。
今は、「ほんの少しだけでも、日本の食糧自給率に貢献できている気がするんです。自負…とまでは言わないけれど、”いいことをしてるな”って、そんな実感があるんですよね」と穏やかな表情で語る。
会社員時代、“消費者”としてだけ生きてきた日々には、得られなかった特別な感覚。土に触れ、みかんを育て、そのみかんが誰かを笑顔にする。幸せを循環させることのできる“生産者”としての喜びを知った。“人が口にするもの” を自分たちの手で育て、届けるという営みには、特別な意味があるようだ。「実際に農業を始める前は、体力面で不安を抱えていました。でも思っていたより体はちゃんと動くし、もちろんキツい作業もあるけれど、やってみたらなんとかなるもんです」と話す口調には、どこか誇らしさもにじむ。
「きちんと手をかけてあげると、みかんの木がどんどん生き生きとしてくる。それで、美味しいみかんができる。もう、いいことばっかりです!」
日々の積み重ねが、豊かな実りを運んでくれ、その実りが心を豊かにしてくれる。長閑さんの言葉からは、それがしっかりと伝わっきた。
さらに、「農業って、職業の選択肢として、めちゃくちゃオススメできますよ!」と、柔らかな笑顔で教えてくれた。
「私たち世代だけじゃなくて、もっと若い人たちにも、めちゃくちゃいいと思う!テレビドラマで見る都会のキラキラした職場に憧れる気持ちも分かります。でも、それとはまた違った意味で、農業にはすごく深い魅力があると思うんです」
自然と向き合い、季節を肌で感じながら、自分の手で「誰かの食」を育てる仕事。
その言葉には、農業という仕事をやった人にしか分からない満足感が溢れていた。
みかん農家という仕事を考え始めたキッカケは何だったのだろうか?
「50歳を目前にして、ふと立ち止まって考え出しました」と宏展さんは静かに語る。
「定年後の働き方や、生活の質とのバランス。妻とそんなことを話すようになって、『体を動かしながら、長く続けられる仕事って何だろう?』って、自然と考えるようになったんです」
そんなある日、何気なく眺めていた御浜町のSNSで目に留まったのは、三重県津市での「就農フェア」に御浜町が出展するという情報。
実際フェアに足を運んでみると、想像以上にリアルな話を聞けた。
「収入のことなど、現実的な話もきちんと聞くことができて、“自分たちにもできるかもしれない”と、少しずつイメージが湧いてきたんです」
でも、実は、「御浜町だろうな、きっとみかん農家になるんだろうな」という直感のようなものが、フェアに参加する前からすでにあったという宏展さん。そして長閑さんも、「実はもう、就農フェアに行く前から気持ちは決まってたんです」と打ち明けてくれた。
そうして、二人の人生の舵は、静かに、でも確かに、農業という針路へと切られていく。
「SNSやYouTubeで御浜町のことを見ていたので、どんどんイメージが膨らんで、ワクワクしてきちゃって。フェアに参加する前には“もう御浜町しかないな”って思ってました(笑)」
情報を集める中で、土地の雰囲気や人の温かさ、みかん作りの風景と、自分たちの未来を重ね合わせることができたのかもしれない。
「就農フェアのあと、初めて農業体験に御浜町を訪れたときのことは、今でもよく覚えています」と宏展さん。そのとき出会ったのが、のちにサポートリーダー*となる高岡さんだった。
「『みかんを一緒にやろう』『みかんで一緒に儲けよう』って、そんなふうに声をかけてくれたんです。嬉しかったですね」
さらに、背中を押してくれたのが御浜町役場農林水産課の職員たちの言葉だった。
「『みかんをやると言うのであれば、町が全力でサポートします』と。『やったらええやん』って言いっぱなしじゃなくて、“本気”なんだって、心から安心できたんです。だからこそ、私たちも、“やったらええやん”でこの町にお世話になっていいんだな」と思ったという。
最初の農業体験を終える頃には、その気持ちは確かなものになっていく。
*「三重県の就農サポートリーダー制度」とは?就農希望者に対して、技術の習得のための実務研修や、就農等に必要な農地の確保など、地域と連携して総合的にサポートする農業者(農家)の登録制度で、登録した農業者が研修生などの受け入れを行っている。
「サラリーマンだった頃の夫と、今、農家として働く夫。表情がまるで違うんです」と、長閑さんは安堵したような表情で教えてくれた。
サラリーマン時代の宏展さんは、常に張りつめ、家の中でも苦しそうだったという。けれど今は、光や緑に包まれる環境で働く毎日に変わり、表情は自然と柔らかく解けていったのだ。
「移住前は自動車部品のサプライチェーンを担う商社で会社員をしていて、その仕事は常に諸外国での有事や天災など、予測できない事態に直接影響されるものでした」と、宏展さんは当時を振り返る。
「仕事と休みの境目をつけるのが本当に難しくて、家に帰ってもテレビでニュースを目にすると、『これからこういう問題が起きるから、対応しないと』と、常に気が抜けませんでした」
家に帰っても、心は休まることのなかった日々。
「現在のみかん作りという仕事も、1日で完結するものではないですけど、作業自体は1日で終わります」と、今のワークライフバランスを話してくれた。
「以前のように、仕事の始まりと終わりが見えないわけではなく、はっきりメリハリがついています。そのおかげで、自然とストレスや不安が減っていきました」
永遠に続くように感じたあの頃とは違い、今は一日の終わりに達成感を感じながら、オンとオフのある暮らしに満足している。
「“ものにあふれた豊かさ” と “精神的な豊かさ” を両立させるのは、実際には難しいものですよね」と、宏展さん。
「それを完全に捨ててきたとは言わないですけど、確実に、そういった“物質的な豊かさ”から、“精神的な豊かさ”へとシフトしてきた感じがします」物や情報に囲まれた生活から少し離れ、自然と向き合い、体を動かすことで得られる充実感、心の余裕、そして人との繋がり。「豊かです!本当に、毎日がストレスフリーで、楽しさに満ちています」と、長閑さんは満面の笑顔で語る。「新しいことばっかりで、毎日がワクワクするんです。自然と向き合い、みかんの木を育てながら、どんどん学んでいく日々。そのすべてが、今の自分にとっては新しいです(笑)」
以前の忙しい日々とは異なり、今は一つ一つの瞬間を大切にしながら暮らす。「会社を辞めるとき、『今、わざわざ動かなくていいじゃないの』と言われたこともありました」と、宏展さんは振り返る。
「安定したサラリーマンという生き方を捨てるのは簡単な決断ではありませんでした。でも、それでも、御浜町で暮らして、みかん農家としての新しい人生を歩むことで、得られるものの方が多いんじゃないかなって」
その勇気ある決断が今、確かな実を結び始めているようだ。
「自然も豊かで、人も温かいんです」と、長閑さんは穏やかな表情で語る。「大家さんのさつまいも作りを手伝ったり、前職の経験を活かして誤嚥性肺炎予防講座のボランティア講師をしたり、地区の役員として毎月広報を配ったり」
「地域の方たちと触れ合う暮らしを楽しんでいます」その言葉には、幸せが溢れ出ていた。
2023年4月からサポートリーダーのもとで1年間の研修を行い、2024年4月にみかん農家として独立を果たした2人。
その1年間を振り返りながら、当時の気持ちや学びを思い出してもらったところ、
「あっという間でしたね!」とのこと。
「1年間、サポートリーダーの高岡さんのもと、毎日のみかん作りにべったり張り付かせてもらって、栽培技術やノウハウを一から教えてもらいました。毎日が新しい発見の連続で、実際に農家の働き方を肌で体験できたことが、今、独立してからも大きな支えになっていると感じています」
その1年が、単なる研修に留まらず、今の自分たちを形作る基盤になったことを、強く実感しているという。
栽培技術だけでなく、他にも多くのことを学んだ。
「たとえば、作業効率の高い農地作りの重要性ですね。みかんの木や枝が作業の邪魔にならないように、例えば木と木の間を広くとって、軽トラや機械がスムーズに入れるようにすること。自分たちの農地でも、それを参考にして実践しています」
さらに、年齢的なことも踏まえて「私たちが50代前後ということで、体に負荷をかけない作業方法を教えてもらえたのが、本当にありがたかった」とも話す。
体への配慮を大切にしながら効率よく作業を進める方法を学ぶことで、長く続けられる農業を目指している。
「高岡さんもご夫婦で農業をやられていたので、奥様から教えていただくことがとても多かったんです」と、長閑さんは感謝の気持ちを込めて話す。
「特に、選果の作業は奥様が中心に行われていて、その作業をしっかりと学ぶことができました」
一番大変だったことは何ですか?という問いに、宏展さんは少し考えてから答えた。
「2人とも、1年間、外で作業をしながら働くこと自体が新しい挑戦でしたね。力仕事や体力的な負担が大きくて、それが一番大変でした」と、宏展さん。
「一番辛かったのは、やっぱり夏の暑さ。特に、みかん畑での作業は、暑さが厳しくて体にこたえました…(苦笑)」と、長閑さんも教えてくれた。
研修期間中、農地での技術研修に加えて、新規就農希望者にとってありがたい制度があったと言う。
県などが開催する勉強会とは別に、町独自に主に研修生・新規就農者を対象とした、年20回程度の座学講座を開催し、知識の向上を目指す。
「農地での研修だけではなく『みかん講座』で、柑橘栽培の専門的な知識や、この地域に特化した栽培方法を学ぶことができました。講義は、研修中に実際に農地で行う作業の背後にある意味を論理的に理解するための内容で、新規就農者にとって本当にありがたい取り組みです」
研修を終え独立した今でも、「時間があれば講義に参加しています」とのこと。
町が提供するニーズにあったサポート体制、そして、2人の学びの姿勢が、日々の農作業に深みを与え、成長を支え続けているのかもしれない。
2024年4月。ついに夢を実現させた2人。無事に農地を確保し、みかん農家としての第一歩を踏み出すことができた。
「独立時はまだ樹を植えていない場所もありましたが、面積は8反(=約0.8ha)からスタートしました」
「それからも、引退される農家さんたちなどから声をかけていただき、ありがたいことに少しずつ農地をお借りすることができ、今では1町1反(=約1.1ha)ほどになりました」
宏展さんは、農地を確保する過程についても感謝の気持ちを語る。
「私たちが研修を受けていたタイミングで、農林水産課職員の方が、農地を手放そうとしている農家さんと私たちを繋げてくださったんです。実を言うと、私たちが自ら動いて農地を探したのではなくて、こうして町のサポートを受けながら進んでいったんです。おかげで、スムーズに農地を確保することができました」
自分たちの力だけでなく、産地のサポートがあってこそ、独立への道が開けた。
独立2年目に向けて、二人はさらに新たな一歩を踏み出した。
「樹が植っていなかった畑に、味一号(超極早生温州みかん)と、カラマンダリンという中晩柑の苗木を植えました。これで未耕作地はなくなりました」という。
そして、今後の展望も教えてくれた。
「今、お借りしている農地の中には、みかんの樹が老木になっているところもあるんです。将来的には、そこを御浜町の栽培奨励品種である“味一号”に植え替えていくつもりです」
将来的に経営の柱として見据えているのは、御浜町の特産品でもある“味一号”。
「温州みかんの中でも、他の産地に先駆けて9月中旬には市場に出荷できる品種なので、競争力と付加価値がとても高いと思っています」と、宏展さんは自信を込めて話す。しかし、味一号の魅力は“早く出せる”というだけではない。「やはり、あの青い外見のインパクト。御浜に来るまで知らなかったので、初めて見た時は『これ大丈夫?』と正直思いました(笑)。ところが中の果肉は驚くほど鮮やかなオレンジ色。そして、甘さも酸味もバランスが良くて、すごく美味しい!」と続けた。
残暑の厳しい9月に味わう爽やかなこのみかんは、まさに唯一無二の存在。その際立った個性と市場での強さから、味一号は御浜町の未来を支える、期待の星といえる品種なのだ。
「数年後には、自分たちが一から育てた味一号が収穫できると思います。ただ、それでも量は足りないので、これからも味一号に合った農地があれば、少しずつ増やしていきたいです」
味一号の現在の生産量は約1,000トン。市場の需要に対して供給が追いついていないのが現状。
JAの販売担当者によると、味一号は1.5倍の1,500トンでも十分に売れるほどの高いポテンシャルを持つ品種で、今後の産地をリードする存在として大きな期待が寄せられている。
このため、御浜町では新規就農者の安定した収入源となることを見込み、補助金制度を整備して栽培の促進を図っている。
一歩ずつ、そして着実に。
二人を見ていると、新しい担い手たちによって切り拓かれていく産地の未来に、希望の光がゆっくりと差し始めているような気がしてくる。
研修を終え、自分たちでスケジュールや作業内容を決め、農家としての道を歩み始めた二人。
「樹の状態を見極める目や、摘果のタイミングなど、まだまだ課題は山積みです。でも、その一つ一つが大切な学びで、次に繋がると信じています」その言葉の奥には、日々の積み重ねと反省、それ以上に前向きな決意がにじむ。
独立後6ヶ月目の9月に迎えた、人生初の出荷。JAへ出荷したみかんには、成績がつけられるのだが、その結果は果たして…?
「自分たちの手で育てたみかんが、客観的にも高く評価されました。本当に嬉しかったです」と、少し照れくさそうに微笑んだ。
「私たちが受け継いだ農地は、前の農家さんが丁寧に土を育て、大切にみかんの樹を守ってくれていたんです。その積み重ねが、評価の高いみかん作りに繋がっていて、僕らはただその恩恵を受けられたというのが正直な感触です」と、語る宏展さん。
そして、力強くこう続けた。
「独立した時に、きちんと手入れされてきた農地を受け継ぐことが出来たのは、本当に大きな意味がありました。それがあったからこそ、私たちも安心して第一歩を踏み出せたんです」
その言葉からは、先人への深い敬意が静かに伝わってきた。
そんな良い農地を確保できたこともあり、「農林水産課が示している、“この面積ならこれくらいだろう”という目安の数値を、実際には上回ることができました」と、1年目から結果がもついてきたことを教えてくれた。
「みかん農家は、年齢を重ねても続けられる仕事だと思います。僕たちも、体に負担の少ないやり方や効率の良い方法を取り入れながら、長く続けていきたい。同じように考える方もきっといるはずです。将来的には、『私たちにもできたから、大丈夫ですよ』って、誰かの背中を押せるようになれたら嬉しいですね」と、未来を見つめる。
「まだ独立して間もないですけど、みかん作りはなんとか形になってきていますし、なにより楽しいです。みかんじゃなくてもいいですけど、“農業”という仕事自体に、大きなやりがいがあると思うので、ぜひ多くの人に挑戦してもらいたいですね。できれば、御浜町で一緒にみかん作りしてくれたら、一番嬉しいんですけどね」と、最後に笑顔で教えてくれた。
新規就農者が、次の新規就農者を呼ぶ。そんな“持続可能な産地”を目指す、御浜町の挑戦は、いま、花ひらこうとしている。
(2024年11月取材 西村司)
▼西岡宏展・長閑さん夫妻の物語を、動画でもお楽しみください!
三重県御浜町では、みかん産地を持続可能なものとするために様々な取り組みを行なっており、新規就農希望者へのサポートも注力しています。希望内容・移住時期など、お一人おひとりの状況に合わせて対応しています。お気軽にご相談ください。
御浜町の就農支援について 詳しくは↓
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