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AM4時半。とある農家の1日が始まる。

当然、夜明け前なので辺りは真っ暗だ。

朝ぼらけの中、家からほど近い七里御浜海岸で趣味の釣りを楽しむ。
AM7時 帰宅。前日採ったみかんを選果し、農協へ持ち込む。そこからは、収穫作業に没頭する。

仲井 照清(なかい てるきよ)さん、52歳。奈良県生まれで、大阪から三重県御浜町へ移住して7年半。
現在、収穫時期以外は一人で約8反(0.8ヘクタール)のみかん畑を手掛けている。

御浜のみかんのファンから作り手へ

なんと、学生時代に御浜のみかんと運命の出会いを果たしていたという仲井さん。

「高校・大学時代に大阪の青果市場でアルバイトをしていた当時、熊野のみかんが入ってきてて。そのあと御浜町には釣りでよく来ていて、いつも帰りにみかんを買って帰ることが多かったので、こっちのみかんは美味しいっていうイメージが頭の中に焼きついていました」
御浜みかんのファンだった頃から、20年の歳月を経て、作り手になった。

御浜町へ来る前は、物流業界で会社員として働いていた仲井さん。就農した背景には、独自の「ライフプラン」があったという。

「20年間学生をして、そのあと20年間サラリーマンをやってまして。その次の20年何をするかと考えた時に、サラリーマンを続けるか、全く違うことをするか。その時ちょうど前職の会社が早期退職を募っていたので、思い切って手を挙げました。仕事を辞めて何をするかと考えた時に、同じサラリーマンをするのであれば前職を続けるに越したことはない。そこで、全く違う第一次産業を手掛けてみたいと思いました。元々みかんが好きで、『とりあえず果樹をやってみたいな』と思ったのが始まりですね」

なんとなく、農作物を作ってみたい。その「なんとなく」の先に見えた微かな光に手を伸ばし、ここでの暮らしを手に入れた。

産地ならではの手厚い支援

第一次産業には農業はもちろん、畜産業、漁業なども含まれる。
その中でなぜ、「農業」そして「御浜町でみかん」だったのだろうか?

「就農フェアで御浜町の担当の方と話をする機会があって。そこでみかんを作ってみないか?と誘われまして、まず体験で一泊二日で御浜町に行きました。既存の農家さんと同じようにIターンで来られた方の所に行って、みかんの作業と、実際の生活の流れを聞かせてもらって。その後いざ、住む家が決まれば1年間の研修スタートという流れでした」

御浜町では、就農ステップとして、みかん農家の元で1~2年間研修を受けることのできる制度が用意されている。そのため、農業未経験でも先輩から指導を受けながら、栽培技術や販路などについて学ぶことができる。みかんの産地ならではの、手厚い受け入れ態勢だ。
独立するための開業資金として、*最大750万円、あるいは12.5万円/月の補助を受けることができる。(※補助を受けるには一定の条件を満たす必要があります。詳しくはこちら

みかんは他の農作物と違って、栽培に必要な設備への初期投資が少ない。農地さえあれば、軽トラと動力噴霧器(主に消毒作業に使う機械)、最低限この2つさえあれば始められるという人もいる。農業のはじめの一歩を踏み出す人にとっては、大きなメリットだ。

力まずに、みかん作りをする

脱サラをして、農業の世界へ。一人で農業で生計を立てていくことは相当なプレッシャーがあったのではと思いきや、意外にも仲井さんからは気の張らない言葉が返ってきた。

「みかん作りってしんどい時もあるんですけど、僕の中では半分趣味と思ってるんで(笑)。みかん作りを始めた頃からそこまで苦を感じたことがない。目標とかは掲げず、肩の力を抜いて気楽にやれればなぁと思ってます。1年に1回の作物なんで色んな気づきがあって、毎年味が多少なりとも違ってくるし。トライアンドエラーじゃないですけど、こうなったらどうなるやろ?そういうのが楽しみでもありますね」

そう、さらりと話す仲井さんだが、意識せずとも「いいみかんを作る」という目標を立てて、コツコツと努力を重ねている人なのだろう。1年の中で1番モチベーションが上がる時期は、9~10月の超極早生みかんを収穫する時だという。手塩にかけて育てたみかんを採り、コンテナに入れていく。自分の作ったみかんが市場で評価され、満足のいく収入を得られると励みになるそうだ。

「ひとり農業」をこなす秘訣

仲井さんは現在、収穫時期以外は基本的に一人で作業をこなしている。それは、気楽にできる反面、責任も一人で背負うことになる。無理はせずに、自分だけの労働力で乗り切るコツとは?

自分がこなすことのできる、無理のない広さの畑の面積をいかに早くに把握できるかでしょうね。丁寧に作るのであれば、8反(0.8ヘクタール)。多少丁寧を犠牲にして量を作る方に振ると1町(1ヘクタール)ちょっとくらいが限界だと思いますね。僕の場合は、収穫の時期だけ手伝いに入ってもらうこともありますが、基本的には1~10までの作業を一人でやる流れです。路地の野菜を作ってる訳ではないので、毎日様子を見てっていうのもないんで。収穫の時期以外でなら挽回する時間があれば休もうと思えば休める。寒くなってきたら雨の日は仕事しませんし。そこまでシャカリキにやるほどでもない、ぼちぼちという広さなんで」

「ひとり農業」をする仲井さんだが、孤独そうなそぶりは感じられない。もしかすると、みかん農家はマイペースを守りたい人にとって、うってつけの職業なのかもしれない。

御浜でみかんを作る意味

「みかんの色といえば、オレンジ色」そんなイメージを覆す、緑色の超極早生温州(ごくわせうんしゅう)みかん。9月上旬から収穫が始まり「青切りみかん」として御浜町では親しまれている。まだ暑さが残る季節に打ってつけの、すっきりとした酸味と甘みを感じられるみかん。その美味しさは、遠方からわざわざ御浜町まで極早生を求めて買いに来る人もいるほど。限られた短い期間だけ味わえる、御浜の初秋の風物詩のような存在とも言える。

「御浜町でみかんを作ることに夢はあると思いますね。本州で一番最初に出荷される超極早生みかんの味1号(品種名)、このみかんがあるからこそ、価格の維持にも繋がってると思います。それを作れる産地、っていうのがここ、御浜町です。そこそこ甘くて酸味もそこまできつくない美味しいみかんなんですけど、生産量自体がそこまで増えてないことがネックです。食べてみて初めて美味しいっていうのが分かるんですが、やっぱり店に並んでるだけやったら、名前の売れてる種類を手に取ってしまうと思うんですよ。そういう所が販売の難しさやと思います。本来であれば対面販売で、こういうみかんでこういう美味しさがありますよっていうのをアピールできればいいんですけどね」

超極早生みかんは、御浜町の「武器」とも言える商品。夏の終わりの9月上旬から、他の産地よりも早く売り出せる。さらにスーパーなどの売り場を確保でき、続いて出てくる極早生温州みかんや、早生温州みかんへと繋げていけるという強みもある。町としては、これから生産量を上げて売り出していきたい品種だ。

自然と向き合い、自分と向き合う

「この仕事に向いてる人はそこそこ、こまめな人」そう話す仲井さん。

「目に見えないところで、細かいことができている人でしょうね。本人も意識してないんやろうけど、ちょっとしたひと手間加えるのがセンスの一つやと思いますね。みかんの木の状態をあまりにもほったらかしにせず、畑が点在していても見て回るっていうのが大事だと思います。おいしいみかんを毎年作ろうと思っても、うまいこといく畑もあればそうじゃないのもある。そういうところが自然相手で難しいところだと思うんで。いつまで経っても素人は素人やと思います

農業は天候や虫害など自分でコントロールできない部分も多く、努力が結果に繋がりにくい。その中で「目に見えないところで、細かいことができる人」は必ず、結果を残す。それはきっと農業だけではなく、全ての仕事に通じること。言い換えれば、農業以外でそれができる人なら、きっと農業もうまくいくはずだ。仲井さんの場合は、肩の力を抜きつつも、目の前のみかんの木と気長に付き合っている。自然に対して、謙虚な気持ちで。仲井さんにとってのみかん作りは「気負わずにできる仕事」だそうだ。

仲井さんのこれからのライフプランについて、聞いてみた。

「ここから20年も経てば、かなりいい歳になってしまうんで(笑)。みかんは作れるうちは作っていけたらなと思います」

明日も、仲井さんの朝は早い。釣りを楽しみ、みかんを作って汗をかく。青空の下でみかんと向き合うその姿からは「生業としてみかんを作りながらも、自然体で生きる充実感」が醸し出されていた。

(2021年11月取材 文・益田 奈央)

仲井さんのストーリーを動画でもお楽しみください。