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本州の南端に近い紀伊半島南部。
熊野灘を望む海と、深い山々に抱かれた三重県御浜町。

みかん農家になる夢を追うと決めた彼と、
その背中を「いいじゃん」と押した彼女。

移住、結婚、そして独立へ。御浜町で、ふたりは人生を重ねる。

「みかん、やったらええやん」

その一言に、本気で応える町がある。

いまこの小さな町に、夢を追う挑戦者たちが集まっている。

ふたりで選んだ町で、人生を重ね

2024年9月に、神奈川県横浜市から御浜町へ。
以前は食品加工会社で工場勤務だったという、岡澤壮史さん(29歳)。
都会での“安定”よりも、子どもの頃から心の奥にあった夢を選びました。

きっかけは、ふと湧いた疑問。

「このままで、いいのかな」

工場の中で、窓の外の天気さえ、気に留めることのない毎日。

季節に関係なく一定の温度に保たれ、
朝も夜も変わらない光が、静かに灯り続けていた。

太陽の光のもと、自然の中で、季節を感じながら働きたい。
その想いが、彼をこの町へ連れてきました。

岡澤壮史さん

2024年11月。
みえの就農サポートリーダー、山門農園の山門祐典さんのもとで2年間の研修がスタート。

*「三重県の就農サポートリーダー制度」とは?
就農希望者に対して、技術の習得のための実務研修や、就農等に必要な農地の確保など、地域と連携して総合的にサポートする農業者(農家)の登録制度で、登録した農業者が研修生などの受け入れを行っている。

取材に訪れたのは、ちょうどその研修の折り返し地点。

「最初は正直、不安だらけでした」

そう笑う彼。でも今は違う。
その背中は、ちゃんと“農家”になっていました。

今回は、岡澤壮史さんがみかん農家を目指す物語、第二章。

第一章を読む

そして――
彼の人生には、もうひとつ大きな転機が訪れます。

「2025年1月、婚約者も会社を辞めて、横浜から御浜町に来てくれました。それからすぐに、入籍しました」

そう話す岡澤さんの隣で、小さく頷いていたのが、岡澤菫(すみれ)さん、28歳だ。

菫さんは、酪農用飼料の営業職として北海道、横浜で勤務していた。
安定したキャリアを歩んでいた彼女もまた、退職して、2025年1月に御浜町へ移住した。

そして4月から、御浜町の地域おこし協力隊として、一般社団法人ツーリズムみはまで働き始めた。

菫さんは、農業をやりたいと打ち明けられた当時の心境をこう振り返ります。

「率直に、『おっ、いいじゃん』って思いました」

というのも、彼女の父の実家は漁師。そして彼女自身も、酪農用飼料の営業として“生産者”と向き合ってきて、一次産業に携わる人たちへのリスペクトが、ずっと心の中にあったという。

「応援したい、という気持ちもありましたし……むしろ、私も興味があったんです。」

彼の挑戦は、どこかで自分の心とも重なっていた。

大学のゼミで出会った二人。卒業後は4年半の遠距離。それでも手を離さなかった。

「どんなときに、夫婦になった幸せを感じますか?」と、尋ねると、少し照れたように、

「ささやかですが、この地域の食材を使って作ったご飯が、本当においしくて。二人で『おいしいね』って言いながら食べている時間が、幸せだなって思います」

不安はゼロではない。
それでも、隣にいる人と選んだ道なら、前に進める。

何気ない日々に、ときめき、耳を澄ます

移住前、二人でゆっくり過ごす時間は、決して多くなかったというが、

「通勤時間がほとんどないので、お昼休みに一度家に戻って、一緒にご飯を食べることもできます。夕方、まだ明るいうちから近所を散歩できるのも、今の暮らしならではですね」

菫さんも続ける。「横浜にいた頃は、欲しいものはだいたいすぐ手に入りました。でも今は、“買う”よりも“つくる”ことが楽しいんです」

近所の方からいただいた柿で干し柿を。梅をもらえば、梅干しや梅酒に。

オンラインで何でも買えて、届く時代。
それでも、“ちょっと手間をかける時間”が、こんなに豊かだとは思わなかった。

「贅沢だなと思う瞬間は?」

そう聞くと、壮史さんはこう答えてくれた。

「庭でBBQをして、その流れで焚き火をするんです。以前は、夕飯中もテレビがついていて、ちゃんと向き合って話す時間が少なかった。でも今は、ゆらゆら揺れる炎を見ながら話していると、自然と深い話になるんです」

将来への不安がないわけじゃない。
でも、その不安を“ひとりで抱えなくていい”。

それが、いちばん大きな変化なのかもしれない。

「旦那さんの姿に変化はありましたか?」と、尋ねると、

菫さんは、

「忙しいし、夏は『暑い〜』って言いながら帰ってきます(笑)。でも、嫌そうじゃないんです。本当にやりたくてやっているから、苦しそうに見えない。だから、私も安心しています」

そして壮史さんは、少し照れながらこう続けた。

「農業は大変な仕事ですけど、1年かけて育てたみかんを食べてもらって『美味しい』と言われれば嬉しいです。でも、ただ木が元気に育って、葉っぱが青々としているのを見るだけでも、『いいなあ』って思えるんです」

成果だけじゃない。
過程そのものを、愛おしく感じる仕事に出会ったようだ。

一方、菫さんは御浜町の地域おこし協力隊として、一般社団法人ツーリズムみはまで働いている。担当は、地域のポイントカード「Kii Card(キイカード)」事務局での営業の仕事。

※現在、御浜町では、地域おこし協力隊を募集中。詳細はコチラ

「地域のお店で使えるポイントカードです。オンラインで何でも買える時代ですが、地域の中で経済を循環させる仕組みとして、大事な役割を担っています」

加盟店を回り、サポートをし、キャンペーンを企画・運営する日々。

「ツーリズムみはまの同僚には東京などから移住してきた先輩もいて、いろんな面で支えてもらっています。心強いですね」

ふたりの暮らしは、決して派手じゃない。でも、この町での暮らしを、ちゃんと“自分たちのもの”に、し始めている。

あの一言で、ここを好きになった

和歌山、愛媛、静岡。
名だたるみかんの産地を、自分の目で見て回った。

産地の規模、ブランド力。
それだけ見れば、もっと“ふさわしい場所”もあったかもしれない。

それでも——
二人が選んだのは、御浜町だった。

壮史さんは、冷静に未来を見据え、

「平坦な農地は大きな魅力でした。効率的に作業できますし、年を取っても続けられる。将来、スマート農業の技術が進んだときも、そんな機械を入れやすい。長くやることを考えたときに、可能性を感じました」

平坦な農地が多く、アクセスも良好

「正直、あまりウェルカムな空気を感じられない産地もありました。こちらは人生をかけて考えているのに、『来たかったらどうぞ』という雰囲気だったりして……」

人生をかける側と、受け入れる側。

その温度差は、想像以上に大きい。

その中で、御浜町は違った。

役場の人も、農家さんも、出会った地元の人たちも。
言葉の端々に“来てほしい”という気持ちがにじんでいた。

「熱意が伝わってきました。ああ、この町は本気なんだって」

そしてもう一つ。

「自分が作りたいように、みかんを作れる産地だと思えたんです」

有名産地では、栽培方法が厳格にマニュアル化されていることもある。
でも御浜町には、“挑戦できる余白”がある、と感じた岡澤さん。

決められた道をなぞるのではなく、
自分のやり方で、積み上げていける場所。

一方で、菫さんが見ていたのは、“暮らし”。

「私は、“ここでちゃんと生活できるか”を見ていました。医療や子育て環境も含めて」

候補地を二つにまで絞り、最終的には、二人で御浜町を訪れた。

長いトンネルが続く高速道路を降りた直後、目の前に広がる綺麗な海に心を打たれたと教えてくれた。

「本当にきれいで。“ここで暮らせたらいいな”って、自然に思えたんです」

訪問の際、親身になって話を聞いてくれる町の人たちの姿に少しずつ心がほぐれていったともいう。

そして、決定的だったのは——
ある飲食店で、会計のときにかけられた一言。

「おおきに」

たった四文字の言葉に、この土地の空気が全部詰まっていた。

「東京出身の私たちには、聞き慣れない言葉だったんですけど、なんだかあったかくて」

それが、
“ここにしよう”と思えた一番の決め手だったのかもしれない。

田舎に移住することに抵抗や不安は?

東京で生まれ育った二人。
人口8,000人に満たない御浜町での暮らしに、抵抗はなかったのだろうか。

壮史さんは笑いながら答える。

「僕は東京といっても、青梅市出身なんです。自然の多い場所で育ったので、将来、こういう環境で働きたいという思いは、子どもの頃からありました。なるべくして、こうなったのかなと」

海、山、川、みかん畑、田んぼが広がる御浜町

一方、菫さんも田舎暮らしに迷いはなかった。

「前職で北海道のオホーツク海側に4年半住んでいたので、抵抗は全くありませんでした。むしろ神奈川で働いていた時のほうが、交通量も多いし、移動は電車中心で、どこへ行くにもお金がかかる。そういう都会ならではの窮屈さを感じていました」

ただ、不安がゼロだったわけではない。

「人間関係が濃いのかな、という心配はありました。でも実際は、近すぎることもなく、程よい距離感。すぐに不安はなくなりました」

不便さはあるのだろうか。

「田舎って言っても何でもありますし、『不便なこと』ってパッと浮かばないですね」と教えてくれた。

都会を離れることは、
何かを失うことだと思っていた。

でも本当は——

“手に入れること”のほうが、ずっと多かった。

ひとりで頑張れとは言わない

未経験。
コネなし。
農地なし。

それでも、挑戦できる理由がある。

壮史さんは現在、みかん農家として研修の真っ最中だ。

「最初は、本当に右も左も分からなくて……正直、迷惑をかけていたと思います」

そう当時を振り返る。

“親方(就農サポートリーダー)”の山門祐典さんと

「研修も二年目に入って、一人で任せてもらえる作業も増えてきました。段取りも、技術も、ちょっとずつですが成長できているかなと(笑)」

研修は基本、週休二日。
さらに土曜日は、町内の別の農家でアルバイトをしているという。

「農家さんごとにやり方が違うんです。同じ“みかん農家”でも、考え方も手順も違う。だから、できるだけ多くの視点で学びたいと思っています」

その姿勢の裏には、焦りではなく、“本気”がある。

壮史さんが「心強い」と何度も口にしたのが、町のサポート体制だ。

みかん講座の講師に研修での疑問をぶつける

「国の補助金もありがたいですし、御浜町独自の補助金もあって、正直、お金の面ではかなり助けられています。でも、それ以上にありがたいのは、『御浜町のみかん講座』で、疑問を疑問のままにしなくていい環境があることです」

畑でふと感じた小さな違和感。
作業中に浮かぶ、ちょっとした疑問。

みかん講座の先生に、現場の研修での疑問や気になったことを直接質問できるので、とても助かっています」

すぐに聞ける人がいる。
同じ思いを持った仲間たちと一緒に学べる場がある。

現場で学び、講座で理論を補強する。 “未経験”という不安を、仕組みで支えてくれる環境。

それは、未経験者にとって、何よりの安心材料だ。

みかん講座の様子

「御浜町みかん講座」

県などが開催する勉強会とは別に、町独自に主に研修生・新規就農者を対象とした、年20回程度の座学講座を開催し、知識の向上を目指す。

必要なのは、“やってみたい”という気持ち。

その気持ちを、
この町はちゃんと受け止めてくれる。

未経験だからこそ、不安になる。

でも——

不安があるなら、
支える仕組みがある場所を選べばいい。

御浜町は、
「ひとりで頑張れ」とは決して言わないから。

畑に立って、はじめて分かったこと

机の上では分からないことがある。

土に触れ、
風を感じ、
自分の足で畑に立ってみて、
はじめて見えてくることもある。

「新しい発見は、“味一号(超極早生温州みかん)”のポテンシャルの高さです」

収穫時期の味一号(超極早生温州みかん)

壮史さんは、迷いなくそう言った。

御浜町の特産品である味一号は、9月に収穫される青切りみかん。青いインパクトのある見た目とは裏腹に、驚くほどの甘さを持つ。

「5月に花が咲いてから約4か月で収穫できます。短期間なので自然災害リスクが低く、色で判断する虫や鳥の被害も受けにくい。さらに高単価。農業を仕事として考えた時に、これは大きな強みだと感じました」

9月出荷のみかんの中でも全国トップクラスの高単価を誇り、他産地では再現が難しいとされる、この町の未来を担う存在。

そんな味一号を、御浜町に来るまで知らなかったという菫さん。

「最初に見た時は、『真っ青!』って(笑)。絶対酸っぱいと思いました。でも、皮をむいたら中はきれいなオレンジ色で、食べた瞬間に『甘っ!』って」

二人は、その味一号を関東に住む両親や友人にも送ったそうで、

返ってきたのは、驚きの声。

「青いのに、めちゃくちゃ甘い」
「こんなみかん、初めて食べた」

その言葉に、農家という仕事がさらに誇らしくなると同時に、

「自分たちも、味一号のポテンシャルをまだまだ甘く見ていました(笑)」と、可能性を感じた。

農業を仕事として続けるなら、
経営の“柱”が必要になる。

味一号は、その柱になり得る存在だ。

開花から収穫までの期間が短い。
高い単価。
他産地では真似のできない希少性。

それが、御浜町で新規就農した多くの人が、この味一号を経営の軸に据える理由だ。

夢の第一歩。その先の現実

独立まで、あと一年を切った。

2026年10月1日。
その日を目標に、準備は着実に進んでいる。

「おかげさまで、軽トラやタンク、農薬散布用のホースや動力噴霧器など、最低限必要な農機具は揃いました。今の大家さんからいただいたもの、親方の知り合いに、安く譲っていただけたものもあります」

毎日のように購入した農地を見に行く

周囲の支えに背中を押されながら、設備面は整いつつある。

けれど――

独立に欠かせない最後のピースがある。

農地だ。

周囲の支えもあり、設備面の準備は整いつつある。一方で、独立に欠かせない“農地の確保”には苦労しているという。

「ありがたいことに農地のお話はいただいているんですが、自分の思い描く経営計画に届いていないのが正直なところです」

購入した農地は海の見える丘の上にある

2025年11月には、崎久保(極早生温州みかん)が植わる農地5反(約0.5ha)を購入。
さらに、そことは別に、未植栽の農地4反(約0.4ha)も借りられることになった。

確実に前進している。

それでも、まだ足りない。

今すぐ収穫できる、
“収入になる農地”が。

「借りている未植栽の農地には、2026年春に味一号の苗を植える予定です。ただ、収穫できるのは数年後。すぐに収穫可能な農地が、合計で8反(0.8ha)ほど確保できれば、生活の目処が立つかなと思っています」

味一号の苗を植える準備の真っ最中

将来的には、自分の農地を合計1.5町(1.5ha)まで広げたいという目標もある。

数字だけを見ると、現実は決して楽ではない。
それでも、将来の設計図を描く時間は、何よりも楽しいと語る姿が印象的だった。

農家としてのやりがいを尋ねたとき、こんなエピソードを教えてくれた。

「先日、友人の結婚式に参列したんです。そのデザートビュッフェで、親方のみかんを使ってもらえて」

一緒に育てたみかん。

それを、晴れの日に。
大切な人たちが囲むテーブルで。

「みんなが『美味しい』って言ってくれたんです。“みかん”って、こんなにも人を笑顔にできるんだって、生産者として初めて実感しました。本当に嬉しかったです」

数字では測れないご褒美。

誰かの人生のワンシーンに、
自分の作った“みかん”があること。

農業は、決して簡単ではない。

天候に左右される。
収穫まで時間がかかる。
収入も、すぐには安定しない。

それでも。

人の笑顔を生み出せる仕事だ。

だからこそ、
ちゃんと現実と向き合う。

勇気を出して、一歩踏み出したあの時、夢が叶うのは、“いつか”じゃなくなった。

まだ見ぬ日々へと、歩き出す

移住。
結婚。
そして、独立へ。

人生の大きな選択を、短い時間で重ねてきた二人。

もちろん、これからも越えるべき壁はある。
農地の確保。
経営の安定。
天候という抗えない自然。

それでも、取材中に何度も耳にしたのは、不安ではなく——
感謝の言葉だった。

「御浜町の皆さんには、本当に感謝しています。親方や周りの農家さん、役場の方々も含めて、あたたかく受け入れてくれて。いろいろな場所に連れて行ってもらったり、農機具を安く譲っていただいたり……。応援してもらっていることが伝わるからこそ、その期待に応えられる農家になりたいと思っています」

菫さんも、静かに頷く。

「ご近所さんや職場の皆さん、加盟店の方々など、関わってくださった皆さんに本当に支えてもらっています。感謝しかありません。いつか、何かしらの形で恩返しができたらと思っています」

支えられる側から、
いつか支える側へ。

その未来を、もう見据えている。

最後に、これからの人生のビジョンを尋ねると、菫さんは、

「お互い、無理なく暮らしていけたらいいなと思っています。こちらに来てから、二人の時間も、それぞれの時間も増えて、自分自身を見つめ直す機会が増えました。これまで背伸びして頑張っていたことや、実は好きだったことにも気づけた。そういう自分たちに、素直に生きていけたらいいなと思います」

壮史さんも続ける。

「将来像は、まだはっきり決まっていない部分も多いです。みかん栽培も、妻にどこまで手伝ってもらうのかも、これから。でも、夫婦としても、僕個人としてもやりたいことはある。何より、自分たちが納得して生きていくことを大切にしたいと思っています」

みかんの木の成長を見守るように、
自分たちの人生も、ゆっくり育てていく。

「みかん、やったらええやん」

この言葉の先には、
挑戦を受け止めてくれる町がある。

三重県御浜町で始まった二人の物語は、

派手ではないけれど、
静かに、根を張り始めている。

近い将来、しっかりと根を張った二人は、
きっと、御浜町のみかんの木々のように、美味しい実をつけるだろう。

(2025年11月 取材 西村司)

よくある質問

▼ 岡澤夫婦の物語を、動画でもお楽しみください

三重県御浜町では、みかん産地を持続可能なものとするために様々な取り組みを行なっており、新規就農希望者へのサポートも注力しています。
希望内容・移住時期など、お一人おひとりの状況に合わせて対応しています。
お気軽にご相談ください。

御浜町の就農支援について 詳しくは↓