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本州のほぼ最南端、紀伊半島・三重県南部に位置する人口約8,000人の小さなまちの御浜町。
近年、産地の未来を担う新規就農者の確保に力を入れ始め、「持続可能な産地」を目指して、全国からみかん農家の担い手を受け入れている。

今回は、横浜から御浜町に移住した28歳の岡澤壮史(おかざわそうし)さんと、彼の就農サポートリーダーである山門祐典(やまかどゆうすけ)さんに話を聞いた。

サポートリーダーを引き受けた理由

就農して25年。御浜町で代々続くみかん農家「山門農園」の4代目でもあり、今回初めて、就農サポーリーダーとして研修生を受け入れた山門祐典さん。

「以前の取材で『みかん、やったらええやん』と自信を持って言えるまちになってくれたらありがたいなと言った言葉が、御浜町が進める新規就農促進プロジェクト名前として使われています。プロジェクト開始以降、多くの新規就農希望者(新たな担い手)が御浜町に来てくれる状況を目の当たりにしていたのですが、そんな風に言った自分は何も協力できていないと感じていました。

自分にできることは何かと考えた時に、『サポートリーダー』は1人でも多い方が良いだろうと思い、『みえの就農サポートリーダー制度』に登録し、引き受けることにしました」

サポートリーダーの山門祐典さん(48歳)

「三重県の就農サポートリーダー制度」とは?
就農希望者に対して、技術の習得のための実務研修や、就農等に必要な農地の確保など、地域と連携して総合的にサポートする農業者(農家)の登録制度で、登録した農業者が研修生などの受け入れを行っている。

「2024年11月から岡澤くんを受け入れています。僕にとっても初めての挑戦なんですが、教えるっていうよりは、一緒に切磋琢磨しながら成長していければと思っています」

サポートリーダーとの出会い

横浜から移住し、2024年11月から山門農園で研修を開始した岡澤壮史さんに山門さんに初めて会った時の印象をお聞きした。

「第一印象はちょっと顔がおっかないなーと思って(笑)」

その言葉を聞いた山門さんは大きな声で笑っていた。

「一番最初にお話させていただいたのは、Webでの面談だったんですけど、実際に初めてお会いして話してみると、気さくですごく優しくて、その時に『やりたいことはあるの?』と聞かれたので、『環境保全型農業に興味があります』とお伝えしたら、これからの時代、農業もどうなっていくか分からないから『何でもチャレンジしてみたら』と言ってくださり、柔軟な考え方をお持ちで安心しました」

山門農園で研修中の岡澤壮史さん(28歳)

これまでの研修内容は?

「9月の収穫の忙しい時期にお手伝いを始めて、11月の研修開始後は、品種を変えて収穫作業を学んでいるという感じです。これから収穫作業以外のことも学んでいく予定になっています」

休日などはありますか?

「他のパートの従業員さんもいらっしゃるので、基本的には週休2日です。ただし、最も忙しくなる収穫時期なので、これまで1、2度くらいですが、土日に働くこともありました」

初心に戻り、自分も成長できる

サポートリーダーとなって、初めて研修生を受け入れることになった山門さん自身も最初は不安だらけだったそうだ。

「岡澤くん・・・違和感があるので、いつも通り壮史と呼ばせてもらいます。
壮史を受け入れるのに最初は正直不安もありましたが、今は、一緒に作業をしていく中で、冗談を言い合ったりもできていますし、良い関係を築けていると思います。何よりも今まで、自分が見向きもしなかったことに対して質問をしてくれたりするので、これまで、何気なくやっていた作業の意味をもう一度考える機会になり、自分自身も成長できるのではと感じています」

「壮史には、何でもチャレンジしてみたらとは言っていますが、『まずは、きちんとみかんを作れるようになろう』と伝えています。それから新しいことにチャレンジしてもらえればと。

一番不安になったのは、婚約者を神奈川から連れて来て、御浜町で入籍すると聞いた時で、責任重大だなと。今も凄くプレッシャーを感じています(笑)」

日に日に大きくなっていった想い

2025年1月に同い年の婚約者も移住され、御浜町で入籍されたそうですね?

「2024年9月にまずは単身で移住してきたのですが、翌年1月に婚約者も神奈川県から来てくれて、そのタイミングで御浜町で入籍しました。入籍の際は、山門さんにお願いして、婚姻届の証人になっていただきました」

晴れて夫婦となり、御浜町での新しい人生を歩み始めた彼の表情は何だか決意に満ちているように見えた。

そもそも、彼が農業を仕事にしようと考えたキッカケは何だったのだろうか?

「東京と言っても青梅市出身で、周りが田んぼだったり畑だったりする田舎でした。子供の頃は、田んぼで生き物を獲ったり、畑の手伝いをしたり、庭で野菜を育てたりするような環境で育ったので、将来は、自然環境だったり、動植物と関わる仕事がしたいなと考えていました」

その想いを実現するために、高校、大学と動植物のことを学べる学校を選び、その道を着実に進んでいたが、大学卒業後は食品製造業の会社に就職して、神奈川県内の製造工場で働き始める。

「動物園の飼育員だったりも考えたのですが、狭き門だったり、経済的な面で考えて、結果的には、サラリーマンとして働き始めました。そんな時に、SNSなどで農業と環境問題の話題を目にすることが多くなり、今まで知らなかった『環境保全型農業』というスタイルを知って、興味を持ち始めました」

そして、だんだんと、農業に対する想いが大きくなっていったという。

「農業に興味を持ったということと、外で働きたいという気持ち。工場の中で働く日々の反動じゃないですけど、動植物に関わる仕事がしたいという想いが再燃してきました。また、何か腑に落ちない気持ちで仕事をしていたので、納得して仕事がしたいという想いも抱きながら働いていました」

そんなある日、その抱えきれなくなるほど大きくなった想いを率直に現在の妻に話したと言う。

すぐに説得することはできなかったそうだが、何度も話し合いを重ねるうちに理解してもらうことができ、そこから農を生業とする道を模索し始める。

「自営業全般にも言えるのかもしれませんが、農業というのは自分の責任で、やりたいようにできるので、自分が納得して働ける。その点に魅力を感じて、『新規就農』という道を選びました」

柑橘栽培を選んだ理由

農業と環境問題に関心を持ち、環境保全型農業というスタイルに興味を惹かれたという経緯もあり、農薬を減らした栽培方法、化学肥料を使わない有機栽培などがまずは頭に浮かんそうだ。

「東京で農業EXPOという就農イベントが開催されていて、イベントにブースを出していた農家さんに『最初から、よそ者が変わったこと、突拍子もないことをやっていると地域に受け入れられないよ』と言われました。当初はその言葉を受け入れることはできなかったんですが、自分の中にも農薬の知識がないままに有機栽培などをやることに違和感があったので、まずは普通にやってみて、そこで、農薬などの知識・知見を広げてから挑戦した方が自分にもプラスになると考えるようになりました」

ただし、そこで、農業をやる上で現れる大きな壁「初期投資」が立ちはだかった。

「最初は野菜作りを考えていたのですが、大きく売上を上げようとすると、大きな機械を導入する必要があったり、イチゴだったりの施設栽培になると、ビニールハウス一棟が数千万円という金額になる上に経営していくためのランニングコストも必要。自分には中々手が出しづらいと感じていた時、柑橘栽培は初期投資額が他の農作物に比べるとかなり少なく済むということを知り、『みかん農家』という道を考え始めました。

僕自身、柑橘がもともと好きだったこと、環境問題に繋がる耕作放棄地の活用として、果樹の栽培が有効であることを知り、様々な作物がある中で、柑橘を選びました」

御浜町に決めた理由

柑橘栽培に照準を定めて、全国各地のみかん産地を訪れるようになった岡澤さん。全国的にはマイナーなみかんの産地である御浜町を最終的に選んだのはなぜだろうか。

「三大産地である和歌山・愛媛・静岡は訪れました。僕が住んでいた神奈川で湘南ゴールドというブランドみかんを生産する場所も訪れました」

そんな中で、たまたま辿りついた御浜町のウェブサイト「青を編む」。
これまで見てきた産地などのウェブサイトが固い作りのものだったり、情報が古かったり、知りたい情報がないと不満を感じていた中で、他とは全然違う内容に惹かれたのだと教えてくれた。

「ホームページの内容や動画に魅了されて、すぐに役場に連絡して、色んな産地を訪れた最後に、御浜町を訪問しました。その際に、農業体験をして、役場や農家の方の話をお聞きし、この町での農業とそこでの暮らしをはっきりとイメージすることができました。
最終的には神奈川県内の産地と迷っていたのですが、両産地に妻を連れて再度訪問し、御浜町を気に入ってくれたので決断しました」

「他産地と一番違うと感じたところは、『独立時に収穫できる農地を渡します』と言ってくれたことです。それは簡単ではないことで、巡り合わせ、自分の努力次第なことも理解はしていますが、御浜町が『担い手の支援に本気で取り組んでいる』からこそ出てくる言葉だと感じ、その点が信頼感に繋がり、最終的な決め手になりました」

果樹栽培についてくる「未収益期間」が長いという課題。
柑橘栽培は新しく苗を植えてから収穫できるようになるまで約4〜5年かかると言われており、収穫できるようになるまでの間の収入確保が課題になっている。
御浜町では、その課題を解決するために独自の農地バンクの整備などを進め、高齢で離農される農家などの農地を円滑に継承するための仕組みづくりに最も力を入れている。新規就農者が独立してすぐに収入を得ることのできる農地を確保することで、未収益期間のない就農の実現を目指している。

三位一体となった担い手支援

御浜町の新規就農促プロジェクト「みかん、やったらええやん」の開始以降、多くの新規就農希望者が全国各地から移住者として集まってきている。そのプロジェクトを開始当初から近くで見ていた山門さんはその光景をどのように見ていたのだろうか。

「当初は、役場もこれほどの反響があるとは想像していなかったとは思いますが、開始早々『住宅がない・農地がない』と慌てている姿を見て「何をやってんねん」と正直思いました。ただし、高齢化も進んで、どんどんと農地が空いてくるのは目に見えてますので、今すぐではないかもしれませんが、新規就農者の方々に渡せる農地というのはどんどんと出てくると思っています」

2024年度は12名の新規就農研修生を受け入れた

「毎年多くても、1〜2名ほどだった新規就農者が、ここ数年は年間10名ほどになったことで、地元も活性化し、地元の農家にも刺激を与えてくれる存在になってくれると感じています」

急激に変わり始めた産地の空気を肌で感じ、「自分たち農家ができること」を考え始めたという山門さん。

「以前は、役場・農家・JAと三者三様の考えで、一つの目標に向かって一緒に進むことはほとんどなかったのですが、就農希望者が実際に町の中で増えたことで、産地の雰囲気がガラッと変わりました。農林水産課の職員が一生懸命に頑張っている姿を見て『俺らも協力したろうかい』となりましたし、これまでは、『役場やJAは何もせん』と自分勝手に言っていましたが、『自分たち農家は何をしたか?』と思い返すと、もっと協力できることがあるだろうと。自分にとっては、それがサポートリーダーを引き受けることでした」

役場・JA・農家が三位一体となって新規就農希望者を支援する

そして、一歩進んだからこそ浮き彫りになった「住宅の確保・農地の確保」などの課題を解決できるのは、自分たちしかないないと気がついた。

「住宅・農地の課題を解決できるのは、地元住民であり、農家である自分たち。住宅がなければ、移住できないですし、農地がなければ農家になれない。この二つはセットです。住宅にしても、倉庫付きの住宅が理想。倉庫付きの住宅を確保するには地元住民の協力が不可欠。農地にしても、農家の僕らが見ればこの時期に肥料をやっていないってことは、『来年はみかんを作らないな』と気づくこともあります。今後はそんな情報を産地全体で共有し、離農される農家などの農地が荒れる前に新規就農者にその農地を渡すための取り組み・仕組みづくりも必要だと感じています」

1年間の研修を終え、2024年4月に独立した第1期生

御浜町の産地としての強み

御浜町で生まれ育ち、就農して25年になる山門さんが考える強みとは?

「誰でも簡単にと言うと語弊があるかもしれませんが、『きちんとやるだけのことをやっていたら、美味しいみかんができる』と壮史にはいつも伝えています。やはり、礫質(れきしつ)で水捌けの良い土壌、温暖多雨な気候など柑橘栽培に適した場所ということが、御浜町のみかん作りにおける最大の強みだと思っています」

柑橘栽培では、水分ストレスを与えて糖度を上げるため、水捌けの良い土壌が耕作適地とされている。そのため、他産地では段々畑などにして、水捌けの良い土壌作りに取り組んでいる一方で、御浜町の土壌は元来水捌けが良く、他産地のように段々畑にせずとも比較的平坦な農地で糖度の高いみかんを生産することができ、体力的負担も少なくすむために、高齢まで長く農家を続けることができる。

雨上がりの超極早生温州みかん「味一号」

農業も仕事であり、ある程度の収入がなければ続けていけない。
御浜町の農家の収入の柱になる柑橘の品種について尋ねてみた。

マイヤーレモンの産地でもありますが、やっぱり、果皮が青い状態で収穫する超極早生温州みかん『味一号』ですかね。全国でみかんが出揃う前の9月中旬頃にこれだけ糖度の高いみかんを出荷できる産地は全国を見回してもほとんどないので、農家が勝負できるみかんですし、高付加価値な品種なので収入の柱になってくれると思います」

9月上旬頃から収穫が始まる

味一号の現在の生産量は約1,000トン。しかし、市場のニーズに生産量が全く追いついていない現状で、JAの販売担当者によると、現在の生産量の1.5倍にあたる1,500トンは楽に売れるほどのポテンシャルを秘める品種であることから、これからの産地を引っ張っていくことが大いに期待され、新規就農者の収入の柱になるみかんとして、御浜町でも補助金を出すなどして、栽培を奨励している。

超極早生温州みかん「味一号」

岡澤さんは、御浜町の特産品でもある「味一号」を知っていましたか?

「ホームページを見てこちらに来たので、味一号の存在は知っていました。9月に収穫するということで、他の柑橘と収穫時期が被らない点はすごく良いなと思っていましたが、こちらに来て新しい発見も多くありました」

「青切りみかん(果皮が青い状態で収穫するみかん)なので、腐りにくくて、扱いやすい。色を見て判断する病害虫・動物に狙われずらい。普通の温州みかんよりも早い時期に収穫するので、木を休ませることができ、隔年結果、表裏が出づらく、農家にとってもメリットがあり、農業経営の観点からも助かる点が多いなと感じています」

残暑残る9月にぴったりの爽やかな味わい

味一号を初めて食べた感想は?

「すごく美味しかったですし、見た目とのギャップは商品としての大きな魅力だと感じました。
真っ青なまま収穫するときもありますが、切ってみると綺麗なオレンジ色、食べてみると美味しい。
想像を超えるギャップとインパクトがありました」

人生の新たな一歩を踏み出した

御浜町での暮らしはどうですか?

「すごい良いところですね。自然も豊かですし、海も近くて。家にいても波の音が聞こえますし、景色も綺麗で住み心地は最高ですね。

自然以外にも、人が温かいなと感じています。山門さんを始め農園の従業員の方々も人当たりがよくて、朗らかな方ばかりなので、心地よく過ごさせてもらっています」

御浜町に移住したほとんどの方から一様に出る言葉「人が温かい」

それは、熊野という場所の成り立ちや歴史に関係しているのでは、と感じたそうだ。

「御浜町は三重県、和歌山県にまたがる熊野という地域にあって、世界遺産にもなっている熊野古道という参詣道があります。昔から救いを求めて参詣するためにこの熊野古道の地を訪れる人々が多かったのか、どんな人でも受け入れる、来るもの拒まずといった精神が残っているのかなということを感じています」

最後に、今後の目標について聞いてみた。

「まずは、産地の一員になるために、『きちんと一人前にみかんを作れるようにならないといけない』と思っています。それから、自分が興味を持つ環境保全型農業などに取り組んでいき、その取り組みに共感していただけるお客様に自分のみかんを食べてもらう、買ってもらう。そんな風に仕事をしていくことができたら理想だと思っています」

「みかん、やったらええやん」と言い合えるまち

「壮史もそうだったんですけど、全国の産地を見てきてもらって、最終的に御浜町に来てくれる人はしっかりサポートするっていうのは、農家の人も役場の職員も全員が持ってる共通の思いです。

受け入れ体制・担い手支援などはさらにブラッシュアップされて良いものになっていくと思います。
今後もこの流れを継続し、より多くの地元住民・農家を巻き込んで、『みかん、やったらええやん』と自信を持って言い合えるまちを目指して、みんなで協力して、進んでいければと思っています」

(2024年11月取材 西村司)

▼山門さん・岡澤さんの物語を、動画でもお楽しみください!

三重県御浜町では、みかん産地を持続可能なものとするために様々な取り組みを行なっており、新規就農希望者へのサポートも注力しています。希望内容・移住時期など、お一人おひとりの状況に合わせた対応をしています。

御浜町の就農支援について 詳しくは↓