神奈川県からIターン/40•50代/新規就農者/2人家族
堀江高司・信子さん
本州の南端近く、紀伊半島の深い山と青い海に抱かれた三重県・御浜町。朝露に濡れる葉の輝きや、山あいを抜ける柔らかな風。人口約7,700人のこの小さな町には、いま、全国から「みかん農家になりたい」という情熱を持った人々が集まっています。
これまで誰かが守ってきたこの風景を、次は自分の手で次世代へ繋ぎたい。 2021年に始まったプロジェクト「みかん、やったらええやん」は、そんなあなたの本気を、町が丸ごと抱きしめます。
都会の喧騒を離れ、みかんと共に生きる。この町が刻んできた時間に、あなたの新しい物語を重ねてみませんか。
都会でのキャリアを手放し、みかんに未来を託す。 そんな決断をした、堀江高司さん(49歳)と信子さん夫婦。
2024年7月、神奈川県鎌倉市から三重県御浜町へ移住。農業未経験から1年間の研修を経て、2025年7月には新規就農者として独立。
かつて高司さんは、全国に拠点を置く専門商社で人事の仕事に携わり、働いていました。
しかし「この先の人生を、もっと自然とともに、自分の手でつくりたい」という想いが、夫婦を御浜町へと導いたのです。
都会のビジネスの最前線で培った感性と、御浜町の豊かな恵み。その二つが重なり合い、誰のためでもない「自分たちの人生」が、この大地で実を結び始めています。
サラリーマン時代は残業が日常茶飯事だったそうで、
「帰宅は23時。食べて寝るだけのような生活が何年も続いて、“このままでいいのかな” と考えるようになりました」
東京の本社で人事の仕事を続けていた高司さん。やりがいはあったものの、都会での働き方、生き方そのものに違和感を覚えるようになります。
全国に拠点がある会社だったこともあり、地方で働きたい意志も会社に伝えていたというが、
「後任がいないということで、希望は叶わず、ずっと本社勤務でした」
そんな中、採用活動で訪れた九州や北海道。
阿蘇や佐世保の、ゆっくり流れる時間に触れるたび、「こんな場所で暮らせたら」という思いが徐々に心に積み重なっていきました。
会社を辞める約1年前、高司さんは “生き方そのものを変えたい” と決意します。
その背中をそっと押したのが、妻・信子さんでした。
「『やりたいことがあるなら、やったほうがいい。私はついていくよ』って。やっぱり、そんな想いを抱えたまま働くことは辛いだろうし、ずっと働いてくれていたので、『好きにしたらって』。背中を押す想いでしたね」
やらなかった後悔より、挑戦する人生を。その思い切った選択と決意が夫婦の人生を大きく動かしていくことになります。
鎌倉に移り住む前、夫婦は千葉県市川市・本八幡(もとやわた)で暮らしていました。その頃、月極の小さな畑を借り、夫婦で土を耕し、苗を植える日々を送っていたといいます。
「うまく育たないことも多かったけど、それでも農業は面白かった。地方に移ったら、家庭菜園の延長で何か育てたいなと思っていました。それが、農業を意識し始めた最初のきっかけですね」
やがて「移住先での仕事」として農業を考えるようになり、行き着いたのが「みかん」でした。
「友人に『何をやりたいの?』と聞かれて、自然と『みかんを作りたい』って答えていました。寒いのが苦手で、暖かい場所で果樹をやるなら、やっぱりみかんだなって」
そうして出会ったのが、「年中みかんのとれるまち」三重県御浜町。
「『9月 みかん 収穫体験』って検索したら御浜町が出てきて、すぐ役場にメールしました」
2023年9月。初めて御浜町を訪れた日のことを、高司さんは今でもはっきりと覚えているという。
「松阪でレンタカーを借りて一人で来たんですが、高速を降りてトンネルを抜けた瞬間、七里御浜と青い海が目の前に広がって。“ここ、すごい。ここ、いいな。” って直感的に思いました」
そして、もう一つ心を奪われたのが、御浜町の特産品「味一号(超極早生温州みかん)」
9月に収穫される、全国でも珍しい「青いみかん」だ。
「こんなに青いみかん、東京では見たことがなかったし、9月にみかんを食べられること自体が衝撃でした」
全国で最も早い時期に収穫され、これまでも多くの新規就農者の心を掴んできた「味一号」。
「このみかんなら、勝負できると確信しましたね」
その二つの「青」との出会いが、夫婦の人生を大きく動かしたのです。
二度目の御浜町訪問は、2023年11月。高司さんの中では、すでに答えはほぼ決まっていました。
「一回目の体験で、気持ちはほとんど固まっていました。でも、役場の方と話して、そこで “やるしかない” って覚悟が決まった感じでしたね」
帰りの車の中で考えていたのは、
「どうやって会社を辞めるか」、「妻にどう切り出すか」――そんなことばかり。
その頃のことを、信子さんは笑って振り返ります。
「そんなことも知らずに、私は鎌倉ライフを満喫していました(笑)」
まずは、一緒に来て、見てもらってからでないと判断できないだろうと思い、2ヶ月後に二人で初めて御浜町に。
「娘も大学を卒業して就職し、私たち夫婦が “これからどう生きるか” を考えるタイミングでした。だから “やりたいなら、やってみたら” って思えたんです」
実は御浜町に決める前、神奈川県内のみかん産地も見に行ったそうで、
「鎌倉に住みながら少しずつ移れるかな、と思って」と信子さん。
しかし高司さんは、御浜町を見た後だったからこそ、違いを感じました。
「御浜町は平坦な畑が多かったんですが、そこは、急斜面の畑や山の奥の畑が多くて。景色はいいけど、50歳近くから始めるには、体力的に厳しいと感じました」
そうは言いつつも、一番の決め手はとてもシンプルで、
「やっぱり、青い海。そして、みかんが本当に美味しい。ここなら、自分でも美味しいみかんが作れると思えたんです」
その後、三度目の訪問を終え、高司さんは会社に退職の意思を伝えました。
2024年7月。会社を退職し、夫婦の新しい人生が静かに動き出しました。
研修先は、サポートリーダー農家・裏さんの畑。最初の仕事は、マルチシート張りと「味一号」の摘果作業。
「7月の炎天下での作業だったので、正直 “これ大丈夫かな” と思いました。でも、不思議と体は慣れていくんですよね」
*「三重県の就農サポートリーダー制度」とは?就農希望者に対して、技術の習得のための実務研修や、就農等に必要な農地の確保など、地域と連携して総合的にサポートする農業者(農家)の登録制度で、登録した農業者が研修生などの受け入れを行っている。
9月には「味一号」の収穫が始まり、10月中旬からは裏さんの主力品種・セミノールの袋かけ作業へ。信子さんも声をかけられ、アルバイトとして畑に立つようになります。
「最初は働くつもりはなかったんです。でも誘われてやってみたら、雨も暑さも大変だけど、みんな優しくて。特に休憩時間のおしゃべりが楽しくて(笑)」
そして11月、早生温州みかんの採果講習の場で、思いがけない出会いが訪れます。
「裏さんが『研修生で農地を探しているんです』って話してくれたら、“ちょうど手放したい畑がある” という農家さんがいて。そのまま見に行くことになりました」
予期せぬところから、突然、歯車が回り始める。
ちょうどその頃、その農地の持ち主から「収穫を手伝ってほしい」と声がかかり、その方の別の畑で一緒に作業をしながら、自然といろいろな話をするようになりました。
「持ち主の方が見ていたのは、“本気でみかんを作りに来ているのか” という点だったと思います。だから、自分の思いや覚悟を、少しずつ伝えていきました」
その後、1月には夫婦で甘夏の収穫を手伝うことに。
長い時間をかけて育くんできた農地は、農家にとって “子ども” のような存在。誰に託すかは、まして他所から来た人に渡すことは、簡単に決められることではありません。
だからこそ、二人は甘夏の収穫のお手伝いを通して、少しずつ信頼関係を築いていったのです。
甘夏の収穫が終わる頃、まだ売買も終わっていない段階で、持ち主からこう告げられました。
「もう、あなたたちに任せます」
そこからは、持ち主のお父さんに教わりながら、甘夏の剪定や伐採を行い、味一号の苗を植えていきました。
こうして、研修と並行して、「自分たちの農地」を管理する日々が始まりました。
「研修は土日が休みでしたけど、休日は自分の農地で作業していましたので、実質休みはなかったですね」
手に入れた農地は1町2反(約1.2ヘクタール)。
「安くはなかったですが、点在した農地をいくつも持つより、一か所にまとまった生産性の高い農地の方がいいと考えていましたので、このチャンスを逃したら、次はない気がして、思い切って決断しました」
一方で、課題もあります。それは、現状、収益性の高い品種の農地がないこと。
生産効率性の高い農地を手に入れた一方で、収益性の高い「味一号」が収穫できるまでは、まだまだ時間がかかります。
「『まずは3年、頑張れ』と。3年経てば、収益は上がるからって言われましたね」
この畑の土は驚くほど柔らかく、50年以上に渡り、剪定した枝をチップにして還し続けてきた、まさに「生きた土壌」だそうで、
「面積的にはもう十分。今後はこの畑の中で、完結する経営をしていきたいですね」
代々受け継がれてきた農地を引き継いだその目には、静かな覚悟と責任が宿っていました。
2025年7月に研修を終えて独立。
自然の中で働きながら、みかんが逞しく育っていく姿を見つめる日々。
「木を観察していると、“今やるべきこと” が自然と見えてくるようになりました。今日は休みたいなと思いながらも畑に行く。農家らしくなってきたのかなって」
基本的に、ほぼ毎日畑に足を運ぶという高司さん。
「電車に揺られていた頃と比べると、外でのびのび働けるし、自由もある。もちろん大変なことは多いですけど、“追われている感じ” や心身のストレスはなくなりました。自分のペースで仕事ができる。心に余裕が生まれましたね」
その日に予定していた作業が終わらず、車のライトで畑を照らしながら作業する夜もありましたが、それでも、不安よりも楽しさの方が勝っているといいます。
「サラリーマンのような安定はないけど、農家には定年がない。健康でいれば続けられる仕事ですし、新しい発見が毎日ある。“いいところに来たな” と感じています」
最初は農業をするつもりがなかった信子さんも、畑に立つことで心境が変わってきたと教えてくれました。
「脚立で木に登って、顔を出した瞬間に見える景色がすごいんです。山と空とみかん畑が一気に広がって、“あぁ、幸せだな” って」
鎌倉でアロマとレイキのサロンを営んでいた信子さんは、みかんの「香り」にも惹かれているそうで、
「剪定で枝を切るたびに、いい匂いがふわっと広がるんです。切っても、切っても。こんな香りの中で働けるのが、みかん農家の特権ですね」
アロマセラピーでも好んで使われる柑橘の香りはリラックス効果が高く、実よりも枝や葉から多く放たれるといいます。
「この香りを、瓶に詰めて届けられたら…って思うようになりました」
みかん畑の中で、信子さんもまた、新しい夢を見つけ始めていました。
最初の取材からおよそ二ヶ月。2026年1月7日、午前8時30分。
この日は、前の持ち主から受け継いだ後、手塩にかけて育ててきた甘夏の、初めての収穫の日だった。二ヶ月前にはまだ青さを残していた果実は、見違えるような鮮やかな黄色に染まり、今か今かとその時を待っているようだ。
この日のために集まってくれたパートさんたちと迎える初収穫は、高司さんにとっては、記念すべき「 “親方” デビューの日」でもあった。
少し緊張した面持ちの高司さんは、収穫作業をパートさんに任せながら、満杯になったコンテナを黙々と軽トラックに積み込んでいく。
「ハサミを入れる瞬間とか、いっぱいになったコンテナを運ぶときに、“こんなに大きく育ってくれたんだな” って実感するんです。この重さは、嬉しい重さですね」
甘夏を農協へ初出荷したときの気持ちを尋ねると、高司さんは、
「育てた子どもを見送るみたいな気分でした」と言って頬が少し緩んだ。
信子さんも、「初収穫」への想いを語ってくれた。
「鎌倉にいた頃は、数年後にみかんを収穫しているなんて想像もしなかった。でも移住してから今日まで、ひたすら育ててきて……ようやく、今日を迎え、“収穫できる喜び” に浸っています。本当に、御浜町に来てよかった」
その笑顔は、朝の緊張が嘘のように晴れやかだった。
こうして、二人の「農家としての努力」が、とうとう実を結ぶ。
高司さんはその先の未来をどう描いているのだろうか。
「将来的には、六次産業化にも挑戦したいと思っています。商社で働いていたので、“作って終わり” ではなくて、自分が育てたものを、どうやって最後まで届けるかまで考えたいんです。農家が持て余しているものも、加工や流通の工夫次第で価値に変えられる。そんな商品を世に送り出して、喜んでもらえたら嬉しいですね」
最後に、これからみかん農家を目指す人へ、メッセージをもらった。
「御浜町には、僕のような未経験者でも農家として自立できる研修制度やサポート体制があります。志があるなら、まずは来て、やってみてほしい。失敗する不安よりも、“きっとできる” という感覚のほうが強い町だと思います。ぜひ、チャレンジしてほしいですね」
二人の幸せそうな笑顔を見ていると、この町とともに育っていく未来が、自然と目に浮かんだ。
新規就農者が、次の新規就農者を呼ぶ。そんな「持続可能な産地」を目指す御浜町で、いま、新しい挑戦が実を結び始めています。
(2025年11月 取材 西村司)
三重県御浜町では、みかん産地を持続可能なものとするために様々な取り組みを行なっており、新規就農希望者へのサポートも注力しています。希望内容・移住時期など、お一人おひとりの状況に合わせて対応しています。お気軽にご相談ください。
御浜町の就農支援について 詳しくは↓
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