横断歩道から見上げる青信号と呼ばれる緑色にぼんやりと灯る光を見つめていると、子供ながらに、不思議な矛盾を感じていたことを思い出す。
信号機の「緑」を「青」と呼ぶ国は、日本の他に世界にないそうだ。
緑色にぼんやり灯る青信号と呼ばれるそれを、横断歩道から見つめていたあの時から、その矛盾は心の片隅に存在し、今もなお、その不可解な青に出会うたびに湧き上がってくる。
信号機の「青」と同じように、「日本の青」は不思議だ。
青い山、青々とした緑、青菜、青田、青みかん
どうして、日本人は、青いものはもちろんのこと、「緑」のものを「青」と呼ぶのだろうか。
その「青」は、いったい私たちに何を伝えようとしているのだろうか。
そんな、子供の頃から抱く、このささいな疑問を紐解いてみる。
ロシアの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの言葉。
空のそのまた先から見た、地球は青かった。あの頃に生きていた人々にとっては、丸くて、青い地球は、想像以上に美しく、神々しく見えたのかもしれない。
地球の約70%を占める海は「青い」。そして、日本の約70%を占める森林も日本人は「青い」と言う。
わたしたちの住む日本は、どこよりも青き国なのだ。
信号機の青を発端に考え始めた日本独特の青の成り立ちを紐解いていくと、長い時を経て、日本人の宗教観、哲学、美意識などが複雑に重なりあって作りあげられたことが見えてくる。
その青は、いつしか、色の概念を超えた。そんな青を、「日本の青」と名付けた。
聖地熊野の町、三重県御浜町
御浜は青い、海が青い、山が青い、空が青い、風が青い、みかんも青い
青色の海や空、緑色の山や風、みかん。
御浜の青は、青と呼ばれる「青」と、青と呼ばれる「緑」で、できている。
「日本の青(Japan Blue) 」と言うと、真っ先に思い浮かぶのは、ギリシャ人ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も書き残したように、多くの外国人が日本人の日常の中でよく目にした、藍染の「青」だ。古くから日本人は「青」を色としても好み、葛飾北斎や歌川広重を代表する浮世絵師の作品の中でも、「青」が好んで使われていた。しかし、わたしたちの「日本の青」はそれよりも、もっと深く、複雑で概念的なものだ。その青は、いつしか、色の概念を飛び越えて日本人の独特の美意識を表現する手段となった。
日本人は、瑞々しい緑色の野菜やりんごやみかんなどの果物、春の新緑茂る鮮やかな山々、初夏の稲穂、それらを「青々と」、「青い」などと表現する。
諸説あるが、「日本の青」の成り立ちを紐解くと、奈良、平安時代に、色を表現する言葉が、黒い、白い、赤い、青いという4つしか存在していなかったため、当時は、緑色は「青い」に分類され、今よりも広義なものだった。緑色に見える物を「青」と呼ぶ習慣は万葉集の時代より前からあったと言われ、緑という概念が登場したのは、鎌倉時代(1,100年)頃だと言われている。
なぜ今も、奈良・平安時代の「緑」も「青」も「青い」と表現する名残が、時を超えて私たちの中に脈々と受け継がれているのだろうか?
「日本の青」が日本人の美意識に根付いた大きな要因の一つは、「神仏習合」という、宗教的、文化的融合の歴史が大きく関わっている。
古から日本人には、自然信仰という宗教観があり、万物に魂が宿ると考え、自然に畏敬の念を抱き、巨石や巨木などを崇めてきた背景があり、その中で自然信仰の宗教観が、神道と云う、日本独特の宗教を生み出したのは自然なことだったのかもしれない。
仏教伝来により、人々の信仰の対象は、「神」と「仏」となり、神仏習合という独特の文化が育まれた。仏教伝来により、「諸行無常」、形あるものはいつか無くなるというような仏教的「無常観」が生まれ、自然信仰の世界観と化学変化を起こし、「もののあわれ」、「侘び寂び」というような、神仏習合の無常観の概念、美意識などが生み出された。
その仏教的なものの捉え方、万物に魂が宿ると考える自然信仰的なもの捉え方が、文化的な側面でも融合し、いつしか、自然物を擬人化するような表現を生み、まさに人であるかのように、それらから溢れ出る「情緒」や「趣」を表現するための手段として、「日本の青」は、千年以上の長きに渡り、受け継がれてきた。
「日本の青」は、神道の万物に魂が宿ると考える自然信仰の世界観、仏教の無常の世界観が混ざり合った神仏習合の副産物なのかもしれない。
自然物の趣と人生を重ね、そこに垣間見える人生のような儚さに美を感じる。自然豊かで、四季がある日本の土壌がだからこそ、儚さに美を見出す感性が育まれたと想像できる。
若葉茂る山の姿に人を重ね、若さの刹那の輝かしい美しさと、その若葉が季節の移ろいとともに色づき、枯れ落ち、大地に還るという自然の儚い美しさが「青」で表現される。
いつしか、「日本の青」は、時を超え、人間そのものの情緒を表現するためにも使われるようにもなった。
例えば、「青春」
この言葉の語源にも諸説あるが、「日本の青」の成り立ちの観点からこの言葉を紐解くと、人生の中の「若さ」は、刹那の輝きであり、誰もが老い、最後は死を迎えるという人生の儚さの美を「青」で表現しているのではないか。「青々と新緑茂る春」、つまりは、「若さ」は誰もが人生の中の一瞬の出来事であると理解しているからこそ、儚く、そして、美しい。そう考えると、良くできた言葉のように思える。
人生の「情緒」を自然物と重ねて、表現する。
「日本の青」は、千年受け継がれてきた日本人の美意識の現在進行形のような気がする。神仏習合の過程を経て、色を表現する手段に過ぎなかったものがその色の概念を大きく超えて、日本人の「情緒」を表現する手段として昇華され、日本人の心、日本人らしさ、美意識の礎となったのではないだろうか。
熊野は神仏習合の聖地
「日本の青を編む」とは、聖地熊野、三重県御浜町で、青い海、青い山、青い空、青い風、青いみかんなどの御浜の青で、日本の青を、紐解き、味わい、再び編み直すこと。それは、甦りの地と呼ばれるこの町で、日本人の美意識を通じて感じる「情緒」の本質に触れ、「日本の心」を甦らすこと。この地を通る熊野古道は、自然の中に身を投じ、自分自身に真摯に向き合う、熊野三山への道のりで、「自身」と「自心」を見つめ直し、古より受け継がれた日本人のアイデンティティーを甦らすための道なのかもしれない。